結果オーライ日記

これは、私が、如何にして往来トリオ北海道ツアーをプロモートするに至ったか、その経緯と、活動の様子を後生の人々に伝える目的で書き記すものです。へへへ JUNKO

メッセンジャーは、三度ベルを鳴らす

タンクトップのYサンからの突然の電話。Kちゃん、Ponちゃん経由で私の電話番号をやっと突きとめたそうな・・・・

小山さんに、明日、二時頃までに電話してくれ
ヘッ!?

そして誰もいなくなった 会議室で

昼休みも過ぎ、職場で一人きりになれるところがなく、携帯をもって、ウロウロ・・・・ 誰もいない会議室で東京へTel。

札幌のJUNKOです・・・あの・・・なにか・・・
小山
今度ライブやろうと言ってたでしょ。やってョ

蘇る金よう 日の記憶

1999.12.31(金)〜2000.1.1にかけての「Midnight Jazz Live」、インフルエンザがやっと治っての酒は美味しく、新年のカウントダウンも終わり、あこがれの小山さんと同じテーブルで一緒にワインを飲み、「はっぴーぬーいやーー」と完全にハイな状態。

K子さん、K美ちゃん主催のライブに、いつもお客さんで楽しませてもらっていた私に、「今度はおまえも、もう呼べ」とYさんに言われだしていたこともあってか、小山さんとの会話の中で「・・・じゃ今度は、私がやります。・・・そうだ、2000年11月6日にきてください」と、盛り上がっている酔っぱらいの記憶が蘇ってきた。(ちなみに11月6日は私の誕生日)

ハコを探して三千里

・・・で、何から始めればいいんですか
小山
ハコを決めるんだよ
ハコって?・・・ダンボール箱?

エピソード 1

97年8月、野川洋一さん(元グルーヴィのマスター)の三回忌・追悼ライブで松風鉱一トリオ(小山彰太d、水谷浩章b)で、目から鱗! 耳から鰓! 状態。

その頃の私はドラムを習い始めて、半年、シンコペーションに四苦八苦状態(今でもだけど)。その私が「ドラムもメロディ楽器になるんだ」と感じ始めたのが、第一印象でした。

必要最低限のドラムセットで、「いろんな音、唄」が聞こえてくる・・・いっぺんで大ファンになりました。

「小山彰太ファン倶楽部/札幌支部長」になると宣言し、小山さんの来札ライブ聞くと、チャド、スローボート、ジェリコ、ジッピー・ホール、白老、遠くは99年横浜JAZZプロムナードと馳せ参じ、いちばん前に陣どる・・・要は追っかけとも言われる。スティックさばきをじっと凝視するうち、畏れを知らない私は'98年3月からJAZZドラムを習い始めてしまうのである。

ドーモの休日

00年3月末の休日は「どーも、はじめまして、私・・・と申します・・・11月にJAZZライブを企画していまして、そちらを会場に貸していただけたらと思いまして・・・直接お会いして説明させていただければと思いまして・・・どーも、ありがとうございます。それでは○日×時に伺います」

または、知人のつてのつてで「あそこの会場を借りる条件は? 誰にアポをとるのがいいの?」と、休日は電話や下見、ご挨拶の日々。

夜景の見える、ティ・ドリィーは、店長さんと電話、直接会い、社長さんが来る午後を時に再度で直し、お願いはしてみたが、私の条件とは程遠く、諦めざるを得なかった。(昼のライブじゃあ・・・3500円会費のイタリアン食べながらじゃあ・・・ちょっとね)

天国への階段

年に二、三度しか行かない DAY BY DAY でできたらいいなぁと、突然思う私。-- 一階、テーブルと椅子がある。50人は入る。地下鉄から近い。小山さんを知っているetc。即行! アポが取れるまで3日間かかってしまった。

4月6日、私は黒岩さんのライブを聴いている間も緊張していた。何をどう説明したのか、しどろもどろ、あるのは熱意だけ。

便せんに書いた経費説明で、かぶれる赤字として、これで会場を貸して欲しいのです・・・
黒岩さん
いいよ。決まらないと困るんでしょ。やったげる。彰太は後輩だし

黒岩さんから、後光が差して見えた私です。その時飲んでいたビールの味は分からなかった。

小山さん、会場が決まりました。 DAY BY DAY です。次は、何をするといいのでしょ・・・? 」
小山
「・・・あ・の・ね・・・」

スタンド・バイ・ミー

このころの私は本当に誰かに側に着いていて欲しかった。電話も挨拶もアポ取り、下見、説明も、ひとりぼっちのようで、心もとなかった。口ずさむ唄は、ダーリン・ダーリン・スターンド・バイ・ミー・・・小山さぁぁぁーん!

タンクトップYが恨めしい。

JAZZライブの輪

4月15日の浪漫風のライブ。この日の奧野さんのステージ終了後、K子さん、K美さんにシンク状況を話し、これからのことを色々アドバイスしてもらう。奧野さんにもライブの計画を話す。

奧野さん、小樽のフリーランスのマスターに会いたい者がいると、紹介してくれませんか
奧野さん
いいよ、いま電話してあげる。
・・・いつでもいいって
直ぐ行きます! 月曜日にいきます。

4月17日、フリーランス

奧野さんから紹介してもらった、札幌のJUNKOです。あ、コーヒーください
経費説明と一カ所の負担分を話し、小樽でも引き受けてもらえないかと、お願いする。
神田さん
うちだけじゃ難しいので、JAZZ倶楽部の会長と相談するから、少し待って

4月22日、「小樽、いいよ、共催でするから」との返事。やったー!!

4月24日、電話で岩見沢のゴーヤ、タベルナと紹介していただいて、辿り着いた栗山のTさんに電話とFAXでライブの計画を説明。

5月2日、栗山から「11月だから、やろうか」との話があったとの電話。

5月6日、小山さんへ、北海道ツアー、三カ所が「決まりましたぁー!」と電話する。うれしかった。「で、この次は何をするのでしょう?」

5月30日、午後8時から小樽ジャズ倶楽部の例会。10時頃にはライブも一段落し、会長の阿部さんのお話の後、ライブを引き受けてくれたお礼を言い、今後の協力をお願いする。この日、白老ドリーム・ジャズ・フェスティバルの宣伝に来ていた白老商工会議所の理事長さんと名刺交換をし、札幌もよろしく!とお願いする。

6月、ボーッとして日常生活

7月15日、浪漫風ライブ。この日は奧野スペシャルにマズルの石渡さん、林さんも加わりゴキゲンであった。道東ライブツアーに行くマズルを見送って、私の方もこんな風に行くのかなぁーと、何処か遠い国へと旅立つ自分を想像つつ、K子さんに矢継ぎ早に、使用する車のサイズとか、そのレンタル料、などを質問するのであった。彼女から「もう、宣伝のチラシをまき始めたら」とアドバイスを受ける。

7月20日、ジッピー・ホールで「マズル」ライブ。昨日作ったばかりのチラシで予告アピール。ここに来ていた、浪漫風のマスター、ジェリコの渋谷さん、じゃんぼの三宅さん達に準備ができたらチラシ、ポスター、チケットを置いてくれるようお願いする。

打ち上げで、林さんに11月に待ってますとラブコール。小山さんにポスター用の写真を早く送るよう言付ける。

8月、またボーッとした夏の日々。ホームページづくりを始める

ギリギリまで待って

8月27日の白老ドリーム・ジャズ・フェスティバル。29日、30日の小山さんのライブのチケットは買った。でも、何か忘れている・・・、あっ、白老ライブのように人がたくさん集まるところで、チラシをまくといいんだ。慌てて、白老に電話するが、実行委員長の山本さんは多忙。会社でも事務所でも捕まらない日々が二、三日続き、8月25日(金)にやっと連絡がとれる。

日曜日に往来トリオのライブのチラシを持ち込んでいいですか?
山本さん
明日(土)にパンフレットの綴じ込みをするから、間に合ったらこちらで配布するよ。
はい、何とか送ります。

それからは必死。郵便局に電話し確認したところ、午後4時までに発送したら翌日に間に合うとのこと。しかし、肝心のチラシができていない。うーんと、仕事をほったらかしに、ハサミとノリで切り張り。3時45分、ギリギリで完成し郵便局へ。

8月26日、昼、白老から「チラシ、届きましたよ」と電話がある。ありがとうございまーす。明日行きます。

8月27日、白老ドリーム・ジャズ・フェスティバル。アンコール時小山さんも酔って踊り、私も踊った。

9月23日、DAY BY DAY(ビールに2杯)、ジャマイカ(コーヒー)、ファンタジスタ(バーボンソーダ3杯)、ジェリコ(ビール1杯)、スローボート(バーボンソーダ2杯)、じゃんぼに辿り着く頃にはヘロヘロじょうたいで、チケットと、ポスターの配布を終了。9月10月の土、日、祝日というと、試行錯誤で作り直すチラシ。そのチラシまきと打ち合わせ、ご挨拶回り、・・・酒づけで家にいない私でした。留守番をし続け、「がんばってね」と送り出してくれた陽太郎、ありがと。

イタイタニック

9月26日小樽ジャズ倶楽部の例会日に小樽分のチラシ・ポスターを届け、飛行機代の負担増のお願いをする。最終確認の手紙を栗山にも送り、やっとここまで辿り着いたかと・・・。後はチケット売りだけです。でも、どじな私のことだから、何かポカをしてるんじゃなかろうか。

10月5日、何か足りないものはないでしょうかと、小山さんに手紙を出すしたやさき、栗山から電話があり、「同姓同名ならいいけど・・・、林さん来れるの?」

おおーっと、足りないのはメンバーだった!!!

シコふんじゃった

小山さんにやっと電話が繋がったのは12日でした。それからは往復書簡ならぬ往復電話の毎日。「まだ会えないんだ。何も分からないんだ」という会話だけで月日だけが過ぎていく。17日の電話では「今日も会えなかった。トリオの今後は3人で話し合って決めたいけど、11月の林は無理ダロ・・・」

私は奈落の底へヒュルル・・・。噂は伝わっているだろうに、何も言わずにこちらからの連絡を待っている小樽。そして栗山、DAY BY DAYに状況を説明。最悪の場合は、林さん抜きのDUO、ライブ先からのキャンセルも有り、と小山さんと共に腹をくくる。

こちらとあちらは遠くて近い・・・栄ちゃーん・・・

10月17日、昼過ぎ栗山へ電話する。「DUO+1ではどうでしょう? ・・はい・・・はい・・・本当にご迷惑をおかけしました・・・」残念ながら栗山はキャンセルです。明日は小樽に行く約束がある。うーっ、胃がキリキリしてきた。

10月18日、午後5時30分、小樽フリーランスで神田さんに状況を説明する。その後、会長の阿部さんが来て再び状況説明。針のむしろの上。「DUO+1のワンが誰かにもよるけど・・」やる、やらないのタイムリミットは金曜の昼となる。その間に、そのワンの候補として、奧野さんのスケジュールを押さえ、DAY BY DAYにはどんな形式になっても会場は貸して下さいと、再度お願いする。

そして、再び、DUO+1のチラシとお詫びの文書を作るのであった。

天使のラブソング

10月19日、12時「出れたよ!」(何処から?のツッコミは入れないでね)、そして13時「行けるよ! 大丈夫だよ!」と相次いで小山さんから電話があった。9回裏、代打逆転満塁さよならホームラン。

10月20日、「栗山は中止、小樽、札幌は(ちゃんと)トリオでやります」の訂正チラシを持って各店を回る。

10月22日、「ミッシャ・メンゲルベルグ・ライブ」、29日「バタさん追悼ライブ」で、「悪い噂(笑)が流れているけど、ちゃんとやるからね」と必死のPRに専念。

11月3日、午前1時、札幌の各店を回り、チケットの売れ行きにため息を付くのでした。家に帰ると小山さんからの伝言電話が・・・

札幌ライブまであと2日。まだまだ続く。